Looking Book*木下キー子

二日酔い・水商売キャバ嬢・失敗談・知識の備忘録がつまった木下キー子のブログ

波動が高いとか低いとか何?人それぞれ波動があり場所があることを知れ

      2018/09/10

波動の低い人、高い人といると、自分も高くいれるという話はきいたことありますか?

波動を高く持とう
波動は高い方が良いと言われていることが多く、実際にたしかにそうだなと思います。

自分のいまいる位置とは別の次元にいくことは、
・通り過ぎたことまたは自分の中での過去、経験したこと、必要の無いこと
(これを低い波動に合わせると言っている)
・求めているものを獲得できるチャンス、自分が魂レベルで変わっていく・引き寄せられる
(これを高い波動を言っている)

高い波動を持つことで、今いる自分の場所から引き上げられますよ
とそんなことを解説していることがおおいと思います。

ではそれはどんなことでしょうか?

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高い波動とは?

高い波動と言葉一つでいわれてもなんのこっちゃと思う人もいるでしょう。
高い波動を追い求めている人もいるかと思います。

高い波動にふれるということは、自分が身震いするほど引き上げられているということを実感すること
なのではないでしょうか。

実際に敏感に自分の心理や感情・気持ちを感じ取れる人は経験があるかと思います。
経験がないという人は、まだ、「波動が高い人」にあっていないのかもしれません。

面白い記事を読んでたしかにな~と思ったのは、

ずばぬけて波動の高い人とは、スキルを持っているとか、有名だとか、そのようなレベルではなく、霊的な力も持っている人です。

経験されたことがある方はその感覚が分かると思いますが、受信する側がちゃんと一定レベルまで波動を高めていれば、悟っている人に会っただけで波動がギューンと高まります。

天皇陛下の姿を見ただけで、震災とかでボロボロになった皆の波動が一気に上がってしまう現象も、これです。

霊的に悟った人は、存在や生き様、オーラで影響を与えるからです。

このように悟った人の近くにいると、何かを教わったわけでもないのに、自分の弱さや心の闇が浮き彫りにされて、自分の器の小ささを思い知ります。

言葉でここを直しましょうとか言われるのではなく、勝手に自分で気づかされてしまうので、それによって全く嫌な気はしません。

—波動の法則とは、分かりやすく言うとつまりこういうこと。より

これは経験があるのではないでしょうか?
わたしは人じゃなくても、オーケストラなどを生で聞くとこうゆう気持ちになります。
例とは違ったものですがこれも波動が高いものに、自身が触れたということになるでしょう。

というと、個々、ひとそれぞれ「感じるもの(インスピレーション・直感)は違う」ということなのかもしれません。

高い低いって何?

人なら誰でも高いものを得たいもの。
高い波動に、高いステージにいきたいと思うものですが。

これには考え方にもよりますが、

高い低いとかありません。
次も前もありません。
いうならば右も左もありゃしないのです。

なので、私は「より高い波動を感じたい」「より高いステージに成長したい」という方はあまり信用していません。

それはただのエゴ(自我)だから

それはなぜなら

それはただのエゴだから

エゴというと言葉のイメージが悪いですが、これはビジネスや日本の教育において、エゴ(自我)が邪魔者あつかいされたため、人をより動かしやすくするためにエゴをなくそうとされた刷り込みにすぎません。

ただ、エゴ(自我)が強すぎると生きて行きにくいのが日本です。
海外の人をみてみましょう。自我をわたしたち日本人よりも多く出しているとおもいませんか?
ただ、それだけの違いです。

しかし、わたしたちは日本人で、日本に住んでいくと思っているならばエゴを出しすぎるのは生きていきにくい原因も一つ。
また、エゴを出しすぎると他人を圧迫するのも事実です。

ここまでエゴ(自我)のイメージはあまりよくないものかもしれませんがわたしたちにはエゴ(自我)はとても必要なものです。

エゴがなければ、喜びや楽しみなどをかんじることができませんし、
悲しみや怒りなどもかんじることはありません。

一見、悲しみや怒りの感情はいらないと感じがちですが
自分を成長させる過程において、この感情から学ぶことはとても多いということに気が付きましょう。

よく優しい人はそれだけ、悲しい思いを経験していると言われていますよね。
実際にはそうゆうことなんだと思います。
悲しみや怒りから得る自分自身の感情から学ぶことは多いのです。

なので、エゴ(自我)があることを否定する必要もありません。
わたしたちにとっては必要不可欠です。

しかし、「より高い波動を」「より高い次のステージへ」などという気持ちもエゴです。
「高いもの」を得たいのか?
それとも自分が今いる場所(モノの見方)を感じたいのか、
どちらなのかによってはまったく意味が違ってきます。

高いものを!というのはエゴであり、欲ですね。
高いものは良いと思い込んだ潜在意識とエゴ。
それを得たいと思う欲求。自分をよくしたいから。

しかしそれを思い求めるあまりに実際の現実とはズレが生じ、ストレスになったりしていませんか?

高い波動・高いステージへという言葉に違和感

高い波動や高いステージにいきたいと願う人はたくさんいます。
それだけ、今の自分からの脱却を目指し、願っているからだとおもいますし、
波動という言葉やステージといった言葉を知っている方は自己啓発や心理の事などを知っている人なのではないですか。
そうゆう人に限って「より高いもの」を得ようとするのがわたしの印象です。

ではこう考えたことはあるのでしょうか?

高いのはなんでいいの?
それは言葉のイメージで高いほうが良いとおもいこんでるだけではなかろうか。
高いというイメージを使って他人との差別化をしているだけではないのでだろうか。

本当に高いのはなにと比べて高いの?
ということです。

高いから良い、低いから悪い、という印象がどうしても強いですね。

悟っているから良いとか、
何も考えていないから悪いとか。

わたしは「過去を手放したらもっと高い波動をもてるよ」と言われたりしていましたし、
自分が落ち込んでいるときは「波動低くない?」と言われていました。

これってとっても違和感。

なにそれ?高いとか低いとかうっせーよって思ってました笑

だって本当はなんにもないんだもの。
高いとか低いとかで人にジャンル付されて格差つけられるのって冗談じゃないわって心の中で本気で思ってました笑

実際に様々な波動にふれてみた結果

いまここにいる自分がいる場所と同じ場所にいる人はそう多くありません。
ひとはみな、それぞれの人生を歩み、生活し、経験して生きているからです。
似ているね~っていう人はいるかもしれません。
また、心地が良いという人は自分の波動と合っている人なんだと思います。

自分の波動とあっていて、ここちがよいなと思う人でも、
波動は常に変わりますから(一定であることはここちがよいですが、安定した波動が変わるときは一時的に変わる気がする)
ずっと仲良しだったカップルが居心地が悪くなったなどはここちよかった波動ではなくなったということです。

高いと言われる波動の持ち主

わたしはとっても波動が「高い」人にあったことがあります。
その人はとても人を癒す力が強く、ぶれない自分を持っていてとても素敵な人でした。
一緒の空間にいると、とても気持ちが暖かくなり前向きになる。
「不安」から開放される、そんな人でした。

その人は高いとか低いとかそうゆう言葉が好きでした。

しかし、長期間共に過ごすことがありました。
その人にとっての理想をわたしは叶えることができず、その人のストレスの原因になりました。
そしてそれをわたしは感じていました。
常にダイレクトに受け取る私は居心地がとてもわるく、普段のその人の波動からは感じない、まったく別のものを感じたのでした。
なにをしてほしいという具体的なことはわかりませんでしたがその人の波動が違うことは分かっていました。
が、わたしはなにもしませんでした。
それもエゴ。
分かっているのに歩み寄らないというエゴをむき出しにし、その人と私のエゴで圧迫関係にいたのでしょう。
なので、居心地が悪く、他人と長時間一緒にいることが苦手な私は他の要因もあり、ものすごいストレスになりました。
お互いストレスを感じていたのですね。
このときのことをその人は「おかげで自分の中のエゴに気がつけた」と仰ってくれましたが、
私の中での疲労はMAXでした。
いろーーーーんな感情が入り混じり、気持ち悪くなりましたし、心が結構疲れていました。

しかし結局、人はみな人間なんだということに気がついたのです。

高い波動を持っているとされている人たちでも結局は人間よっていうこと。

ビジネス成功者の人や自己啓発者など波動が良いといわれているひとたちも、みんな人間でそれぞれ思い悩んで生活しているんだ~と当たり前のことながらにして実感しました。
また、エゴが波動を邪魔するんだなとも。

低い波動を感じると?

世で言われている「低い」波動の人たちと一緒にいると結論からいうと疲れます。

・通り過ぎたことまたは自分の中での過去、経験したこと、必要の無いこと
と書きましたが、今までとっても居心地がよく楽しい時間を過ごしていたのに自分に目を向けることでなんだかその人たちと居心地が悪くなった、などという経験はありませんか?

よく言われるのはこんな言葉ですかね
「まだそんなことしてるの?」
ですね。

色々な意味に取られる言葉ですが、この言葉には「まだそんなところにいるの?わたしはそこはもう経験してそこにはもういないよ」っていう意味が込められていますですね。

うむ。実におもしろい(福山雅治)

実際にあなたも経験はありませんか?
昔遊んでいた友人と会ったとき

→久しぶりにあっても、久しぶりな感じがしないね!最高!

→いまだにこんなことしてるんだ~変わってないのね、なにも。

とおもったことありませんか?

それは今はあなたとその友人が違うところで生きているから出ている波動も違うもので、居心地が悪いからですね。
これを要約してわかりやすくいうと「ステージ」という言葉を付けられることが多いですね。

しかし、まだそんなことをしていても、彼らにはそこにいることが心地よく、常に変化をしていないだけのこと。

みんな変化をしていく必要はあるのか?
気づく必要はあるのか?

自分に目をむけはじめたり、このままじゃなくてもっと違う自分になりたい!という気持ちをもったことがあると、どんどん変化していきます。
自分のなかでのトラウマや過去、執着しているものに気がついたりそれを手放そうとしたり。
自分を見つめつづけることはとても心身ともにパワーを使います。
変化していくものを感じ吸収し、身を任せているのでパワーを使って当たり前です。

しかしこれを人間全員がしているとおもいますか?
変化や気づきを必要としていない人もいるということをあなたは知っていますか。

みんな自分のように変化や気づきを求めているわけではないのです。

自分が変化していくと波動も変わりますから変化や気付きを自ら必要としていないひとたとは居心地の良さが
あっていたのに、合わなくなって当然だとは思いませんか。

それをただ、「高い」だの「低い」だの言うのは自分の価値観であり、自我だということです。

合わない、合っていて疲れるなら距離を保つことで自分が疲れないのではないでしょうか。

また、他人は自分を変えられることを好む人と好まない人がいることも知っておくべきです。
全員がわたしは変わりたい!と言っているわけではなありません。
自分のペースでやりたい人もいれば、自分のペースではないひっぱってほしいという人もいるのです。

本当にもとめることは「無」

わたしは変化を好む人(というか現状では終わらないという考え)なのですが、
人に「変われ!」と言われるのが大嫌い笑
人に言われてやることがこの世で一番苦手。
そりゃ仕事をしていて、仕事関係の人に「仕事のことはこうしてほしい」と言われれば社畜基質な尽くし系なので、
「もちのろん!」と言ってやりますが、
それ以外のことは本当に苦手で自分の自我がでてきて「うるせーな」ってなるんです。笑
わたしはわたしのペースでやりたいので、見守っててくれると大変に嬉しゅうございます。泣きたいときは、そっと手を差し伸べてくださいタイプ笑

波動も感じるし、「高い波動」「低い波動」と言われているのはよくわかった。
けど、「高い」とか「低い」とかそんな言葉は使いたくないの。
だって、それってとっても差別的で自己満足。

高いも低いもないんだよ
それぞれ別の場所にいるだけなんだって。

上も下も右も左もないことにどうやって高いとか低いをつけるんだい。

わたしが求めることは「無」

なにもない、無重力の中でふわふわと浮いている無の感覚はしばらくありません。
無の感覚で生きていけたら、きっとこんな記事も書かないんだろうけど笑

無のときの波動っていうのも、欲とかエゴがないまっさらな状態なのでとてもシンプルなものだと思いますよ。

ちなみに、波動って脳髄液からのものなんだって。
これについてはまたお勉強してから。

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